最近読んだ本で、子どもと一緒に料理するのが良いと書いてあった。
それはかなり実感としてあって、ぴっぴは「食べ物」が関わると俄然やる気が出るし、自分が作ったものだとよく食べる。
それはホットケーキミックスをかき混ぜてもらったりだとか、卵を割ったりだとか簡単なことなのだけれど、本人の自己有用感も高めているのであろう。
ここで母は教育的なことよりも、下心として将来、「あ、かーちゃん今日味噌汁作っといたから」という、もはや神の子のような存在を作り出そうとしている節がある。
それをぴっぴに見破られないように、さもぴっぴがやりたいことをやらせてあげているていを装っているのだ。
確かに、不器用な3歳児に料理の手解きをするのは簡単なことではない。
まして次男ぴーすけが9ヶ月ということもあり、ズリバイでいろんなところに這いずり回り、それをちぎっては投げ、ちぎっては投げしながらぴっぴと料理するのはもはや苦行とも言える。
しかし、「料理をしなさい」という言葉を使わずに、いかに自然に料理する子に育てるかというミッションを遂行するには、物心つく前からやるのが当たり前という環境を作るほかないと思うんだな。
結果として、料理は科学であったり、数学的な要素を自然と身につけられるのであれば有難い。
さらに今後生きていくために料理は絶対に必要。
男だからとか女だからとかジェンダー的なことをいうつもりはもうとう無いけど、一緒に暮らすパートナーのためにも冷蔵庫の余り物でサッと料理を作れるようになってほしい。
あわよくば母を助けてほしい。
そういうわけで、「混ぜる」「割る」という行為の後、やりたくなるのは「切る」だろう。大人と同じように包丁を使いたくなってきたぴっぴ。
しかし、我が家の包丁はよく切れるんだ。
義理のお母さんが産後手伝いに来てくれた時に買ったからね、いい包丁を。
そんな手もスパッと切れそうな包丁は渡せられない。
子ども用の包丁を買おう。そう思って、くだんの包丁を買ったお店に再訪することにした。
まぁ松原商店街にある金物屋さんなのだけどね。
イオンのない今、包丁を売っているところって他に思い浮かばない。
ショーケースに並ぶ包丁の数々。
子ども用の包丁は見当たらない。お店の人に言って出してもらうと、タイトルの通り5,000円オーバーであった。
ところで、この包丁100均でも先の丸くなった果物ナイフが売っているらしい。
それでもいっかと思っていたわたしからすると、衝撃のプライスである。
「あの、他に子ども用の包丁はないのですかね」
「うーん、うちはこれしか今は置いてないのよね」
諦めるかと踵を返すと、そこにはぴっぴの期待のこもった目が輝いていた。
買うの?買うんだよね??
「ちょっとね、この包丁は高いからね。ママは考えようと思うよ」
そう静かに伝えると、ぴっぴは憤慨した。彼の中では「今日」「いま、ここ」が全てなのだ。
そして、それを振り切れない不甲斐ないわたし。
「うーーーん。思ったよりね、高級な包丁なのだよ。
ぴっぴがちゃんとお手伝いしてくれないなら買えないのだよ」
「お手伝いするよ?」
買ってしまった…。
そんな問答をしていたら、見かねたおばちゃんが1割引いてくれた。
それでも5,000円オーバーする包丁。わたしが今使っている包丁とさして変わらない値段。
清水の舞台から飛び降りる覚悟だよ。
狼狽したわたしの顔を見て、でもえらいよ、と声をかけてくれたおばちゃん。
子どものためにそうやってお手伝いさせるのも大変だもんね、自分でやった方が早いもんね、と。
笑顔でお礼を言いながら、下心があるわたしは思うのであった、将来、彼がこれを機に料理好きな男になってくれたら5,000円など実は大した出費ではないのです。洋服1枚分ですから。
帰って早速キャベツを切った。
その日はそれでコンソメスープを作ったのだが、いつも食べないキャベツを得意げに食べていた。これは思わぬ副産物。苦手なものまで食べてくれるとは。
明日はほうれん草を切ってもらおう。